とある山の中に,巨大な広場がある。円形の其処は,広場という
にはあまりに奇妙な場所だった。径100メートル程もある其処は,
地肌が赤く剥き出しになっている。しかし,剥き出しの地面は,円
周を境に綺麗に消えていた。その先には,整然と叢が生い茂ってい
る。中心には,唯,巨大な岩石が突き立っているのみで,他に目立
つものは無い。誰かが持ってきたのか,無数の花が岩石の周りに横
たえられている。その光景は,古代の環状列石の如く,鬱蒼と茂る
森の中に不気味さを晒していた。それ故に,其処は『無明の祭壇』
と人に伝えられる。それは,『虚空の民』が跳梁跋扈する様子を表
した表現にして,その実体を如実に示している。
 実のところ,其処は過去の戦いによる副産物なのではあるが,そ
の戦いを直接見たものは居らず,ただ,巨大な鬼火のみが見えたと
いう。人々は,これを機会に,彼等の認識の外に生きる存在を強く
認識する。『虚空の民』という名は,その過程内で,彼等が呼び習
わす為に当てた記号,あるいは概念に過ぎない。
 そして今,其処から南に少し下がったところにある村で,異変が
起こっていた。普段は泡沫のように現れては消える『虚空の民』の
集団が,長く居座っているのである。もっとも其等は,珍しく人に
対し,一切の危害を加えない為に実害は無いのだが,やはり,自分
達とは異なる奇怪な存在が見えているのは,人にとって薄気味悪い
ものである。その為,その一体を遠巻きにするように人は住処を移
していた。


 燃え盛る業火,逃げ惑う人の中で,二つの影が揺らめく。焔臥と
明失。『虚空の民』である。全身に焔を纏った異形,焔臥が吼える。
「いやっはぁ! どうでい,四方八里を焼き尽くす俺様の焔は!」
 その横で,全身影の如く黒い明失が,首を横に振る。
「私には,四方一里も無いように見えるのだが」
「なんでぃ。一里も八里も変わらねぇってんだ」
 怒鳴りながら,焔臥はさらに攻撃を続ける。高密度に圧縮された
焔を地面に叩き付けることにより,焔と土砂を爆発させる。辺りに,
轟音と黒煙が広がる。
 現在,この二者は,侵入者との戦闘に当たっていた。監視部隊で
ある彼等に与えられた指示は,「侵入者を発見し次第,殲滅せよ」
であった。それ故,構成員には直接戦闘が得意である一派『獄焔』
から焔臥,気配察知に長ける一派『黒影』から明失が選ばれたのだ
った。
 明失は溜息を吐きながら,獄焔を嗜める。
「派手な攻撃は控えるよう指示が出ている筈だ」
「はっ。この程度が派手たぁ,流石陰気集団の一員だぁ!」
 完全に性質が異なる二つの派閥の出である為に,焔臥と明失は完
全に息が合っていなかった。
 明失は,もう一度溜息を吐く。獄焔の考え無しの攻撃によって,
視界が完全に奪われている今,相手の姿を確認することは困難にな
っていた。
「しかし,それは相手にも同じこと」
 明失は,黒煙の中に滑り込む。気配を消し,代わりに相手の気配
を辿り対象に接近する。そして,凍り付いた。対象の持つ尋常なら
ざる気配に。それは,彼の主君である暗翳と同等か,それ以上であ
ったのだ。
 明失は,慌てて後退する。一気に距離を取った。その様子を見た
焔臥が,攻撃を止めた。
「どうしたんでぃ?」
「強い」
 明失は,簡潔に答える。その言葉に焔臥の表情が引き締まった。
『虚空の民』は,本能的に戦闘時に集中力が増大する。それは,そ
の本質が戦というものにある為か,一度,強者との戦闘になれば,
その気構えが豹変するのだ。
 煙がゆっくりと引いていく。視界が晴れ,対象が明確に見えるよ
うになった時,先ず彼等に見えたのは,巨大な刀であった。鞘の無
い剥き身の長刀は,鈍く銀色の輝きを発していた。
 その刀を持っているのは,青い髪をした若い男であった。先程の
焔による傷は何一つ付いていない。完全に無傷であった。
「なんでぇ,あのでっかい刀は」
 焔臥が問う。彼は,自分の攻撃が無駄であったことなどまるで気
にしていない様子であった。それよりも目の前の異物に対し興味を
奪われている。それに対し明失は,「用心」という一言を返した。
 焔臥が頷く。纏う焔が大きく激しくなった。焔は白みを帯び,よ
り高密度に変化していく。焔臥は,先程と同様に,焔を地面に叩き
つける。先程よりも多く,かつ,その威力は先の比にならない程大
きい。更に,焔臥が突撃する。対象に向かい一直線に突進した。全
身の焔が右腕に集中する。
 視界を奪われた男が,間近に迫った焔臥に気付き,刀を振るう直
前,焔臥は,跳躍した。垂直に高く。焔臥の周囲の空気が鎌鼬によ
って切り刻まれる。焔臥は,上空から灼熱の拳を男に向かって振り
下ろす。轟音。刹那。焔臥の姿が消え,その場所を,無数の氷柱が
貫く。
「用心」
 明失が先程よりも強い声で言う。その横には,体中に氷柱の突き
刺さっている焔臥が居た。明失の技能の一つ。『影移し』である。
「あいすまねぇ」
 焔臥は,再び全身の焔を激しくし,刺さった氷柱を溶かす。そし
て,明失に視線を送る。明失は頷く。
 ――次の瞬間。焔臥は男の背後に立っていた。
 焔臥の拳が,男の体の中心を穿つ。焔臥は,その拳を引き抜かず
に,更に焔を集めた。男の体が爆ぜる。飛び散った男の体はしかし,
舞い散ることなく,一点に集中する。――焔臥の居る場所へと。
 絶叫は一瞬。焔臥の全身に先程よりも圧倒的に多くの氷柱が突き
刺さる。さらに,それらは,互いに凝集し,焔臥の体を包む。そし
て,砕けた。
「『氷鏡』」
 呆然としている明失の背後で声がした。明失は,慌てて背後を振
り返る。そこには,青い髪の男が悠然と立ち,巨大な刀を突き出し
ていた。
「神韋……」
 明失は,最早抵抗することなく,刀に貫かれ絶命した。
 その表情には,完全なる絶望が浮かんでいた。