長刀を振るう青い髪の男がやって来たという噂は,途端に村に広
まった。当然,人々の間だけではなく,その村の中心に陣取ってい
る『虚空の民』達にもである。
「あの二人がやられたそうですね」
「うむ。しかし,相手が神韋となればやむを得ない」
「運がなかったのでしょうね」
 村の中心部に,一つ崩れた家がある。其処こそ『虚空の民』達の
本営であり,活動の拠点である。その傍らに,四体の案山子が立っ
ていた。それぞれの案山子には,翁,烏,狐,鬼の面が付けられて
いる。
「さて,御仁達。次は,誰が討伐に行くのか決めるのですぞ」
 翁の面が言う。
 先ず応えたのは,烏の面。『黒影』の将,暗翳である。
「ここは,閃霊殿の『白閃』から一人出して戴くべきでは」
「私の部隊ですか」
 応じたのは,狐の面。『白閃』の将,閃霊。
「確かに,我と暗翳の部隊からは既に一人ずつ失っている」
 鬼の面。『獄焔』の将,焔成が暗翳に賛同する。
「成る程。妥当じゃな」
 翁の面が相槌を打ち,皆,閃霊の返答を待つ形になった。暫しの
間があり,狐の面が頷く。
 途端,閃霊の前に,稲妻が走った。其れは,地に消えることなく
留まり,その光の中から人影が一つ浮かび上がる。
「雷刃。只今参りました」
 雷刃と名乗った青年は,狐の面の前に跪く。線の細い青年のよう
な姿をしている。しかし,其の手足は異様に長く,額には第三の目
が付いている。
 閃霊は,雷刃に指示を出す。
「御苦労様です。早速ですが,神韋討伐を命じます」
 雷刃の第三の目が光る。
「神韋討伐。御意に」
 交わす言葉も少なく,雷刃は颯爽と姿を消した。


 かつてこの村に,一人の刀匠が居た。その刀匠の造り出した最後
の刀を神薙剣という。その刀は,太古の神話が示す程の大きさを誇
り,並みの人間ならば振るうことの出来ないものであった。
 そして,実際。その刀には神が宿っていた。彼は,その神を韋う
為の刀を作り出したのである。その神の名は,神薙。『虚空の民』
にして,『虚空の民』を裁く神である。
 神を韋う刀は,人間ばかりか,並みの『虚空の民』でさえも扱う
ことが出来ず,作り出された神薙剣は,刀匠の最期まで,その手元
に置かれた。
 されども,刀匠の命尽きる前,一人の男が彼の前に現われた。濂
溪と名乗ったその男は,神薙剣を振るい,刀匠を食らった『虚空の
民』を屠る。
 それより,其の男は,神韋と呼ばれるようになる。
 今,この村にその男が再び現われた。
 新たなる裁きを下す為に。


 村の外周部。先程の戦闘から程近い場所にある民家。そこに濂溪
は居た。民家の二階。畳を敷かれた部屋の上に横になっている。そ
の目は,疲れきっていた。その横に無造作に置かれた剥き出しの刀
から声が聞こえてくる。
「まったく不甲斐無い。あの程度の戦闘で,ここまで伏せるとは」
「仕方がないだろう。俺には,体力がないんだよ」
 濂溪は,半分眠ったような声で答える。
「この腑抜けめ。どうしてその精神だけいつまでも変わらぬか」
「悪いね」
 そのまま濂溪は目を瞑る。その様子を見ていた隻眼の男が笑みを
浮かべた。この家の主である。
「疲れはまだとれないかい。濂溪君」
「ああ。この口煩い奴のせいでな」
「……」
 濂溪は,刀を指差しながら言う。隻眼の男が,声を出して笑う。
「はは。そうだ。料理が下に出来ているから,食べに来るといい」
 そう言って,男は階下に降りていった。濂溪と刀が取り残される。
「神薙」
「うむ」
 濂溪が身を起こし,真剣な声で刀,神薙に語りかける。
「あの男は一体何者だ」
「わからぬ」
「少なくとも『虚空の民』ではないな」
「うむ。だが,それ故に用心が必要だ。唯の人間が,我々に動ぜぬ
というのは,解せぬ」
「ああ」
 濂溪が頷く。そこに神薙が言う。
「ところで。口煩い奴とは,何処の誰のことだ?」
「……。飯を食いに行こう」


 雷刃が空を駆る。その第三の目は,神韋の位置を既に特定してい
た。あとは,普段どおりに殺すのみである。雷刃は,用心しながら,
しかし迅速に,対象に接近する。


「美味いな」
 机の上に所狭しと並べられた食事を貪りながら,濂溪は目の前の
男に賛辞を述べた。
「ほう。それはありがとう。作った甲斐がある」
 男は,嬉しそうな表情を浮かべた。
「精が付きそうな料理だな。どこの料理だ?」
 今,濂溪が口を付けているのは,赤い唐辛子がまぶされた,豆腐
料理である。麻婆豆腐。彼は,この料理を知らなかった。
「震旦だよ」
 男は答えた。
「あんたは震旦の出なのか」
「その通り。君は,本朝かな」
「ああ」
 男の言う出身とは,意味が異なるのだが,濂溪は素直に頷いた。
「そうか。ここはいい所だ。島国だし,何より四季がある」
「震旦にも四季はあるだろう?」
「場所による。私の居たところには無かったかな」
「広いからな」
 濂溪は,納得して頷いた。そして,表情を険しくする。その様子
に気が付いたのか,男もやや表情を固くした。
「ところで,あんたは一体何者だ?」
 濂溪は単刀直入に聞く。先の戦闘の際に,人々が逃げ惑う中,唯
一人腕を組んで様子を見ていたのがこの男であった。あまつ,濂溪
が疲労の為に崩れ落ちたとき,軽々と担いで家に連れて行ったので
ある。唯の人間にしては,些か異様であった。
 男は,しばらく目を閉じていたが,やがて観念したかのように口
を開く。
「梁伯。手の掛かる家出娘を探す,哀れな父親さ」
 予想外の返答に,濂溪は唖然とする。梁伯と名乗った男は,口元
に不敵な笑みを浮かべていた。
 その時,轟音が辺りを揺らす。


「やったか」
 雷刃の最大の攻撃は,自らを稲妻に変え,対象に突撃するという
ものである。今,彼はその攻撃で以って神韋の居場所に突撃した。
稲妻は,家屋を粉砕し,その下の地面を深く抉る。時に高圧の電撃
は,高熱を発し空気ごと蒸発させる。如何に強靭な存在であろうと,
その熱に耐えることは出来ない。実際に,彼の第三の目からは,神
韋の反応が消えていた。
 だが,
「なに?!」
 彼が攻撃した家屋の横の家から,青い髪の男が出てくるではない
か。途端に,彼の第三の目が神韋の反応を示した。
「生き延びたか。だが,ならば直接殺すまで!」
 雷刃は,臨戦態勢に入った。相手は長刀――神薙剣,を所持して
いない。生身で戦うのだろう。いや,戦わざるを得ないのだろう。
彼は,事前に閃霊から伝え聞いていた情報の正しさを知る。「神韋
は,連続しては神薙を使えない」雷刃は,心の中で微笑した。
 対して,濂溪は何が起こったのかを把握することが出来ずに居た。
そして,短時間での連戦に恐怖していた。
「待てよ。こんな状態で戦えるわけないだろう」
 しかし,濂溪も,臨戦態勢を整える。大気中の水分から刀を作り
出し構える。
 かくして,濂溪と雷刃の戦いが始まる。