濂溪は,水の刀を構え雷刃に向かう。神薙剣は,使用時の負荷が
大きい為に,連続した使用が出来ない。それ故,今の濂溪は己の素
の力を使わざるを得ない。しかし,神韋と呼ばれる身でありながら,
濂溪自身の力は,脆弱。同じ『虚空の民』の中でも戦闘部隊に配属
されることのない程度の力であった。
 対する,雷刃は三叉槍という,先が三叉に分かれた槍を構えてい
る。雷刃の所属する『白閃』は『黒影』と並ぶ暗殺部隊であり,雷
刃は,閃霊に寵愛される程の実力の持ち主である。
 しかし,雷刃は油断というものをしない。
 故に,この戦いも,既に勝負は決している。

 雷刃の三叉槍が突き出される。濂溪は,刀では受けず,氷の障壁
を生み出した。直感的な判断だが,それは正しかった。刀の数倍の
強度を誇る障壁は,雷刃の突き一撃で粉砕された。濂溪は怯みなが
らも,雷刃の背後を取る。刀を袈裟に振り仕留めに掛かる。しかし,
雷刃は,勿論その程度の奇襲を読みきっていた。前方に跳躍し,同
時に三叉槍を背後の濂溪に向かって投擲する。雷撃を帯びた,三叉
槍は濂溪の胸を貫いた。その体が霧散する。『氷鏡』。焔臥を仕留
めた技で回避する。だが,雷刃自身は突撃していないので,今回は
仕留めることは出来ない。濂溪は再度,雷刃の背後を取る。雷刃は,
驚愕の表情を浮かべるが,自身を稲妻に変え,前方に回避。濂溪と
距離を取った。動の流れの中に静が混じる。
「流石神韋。神薙剣を使わなくとも,ここまで戦えるとはな」
 雷刃は,密かに濂溪を賞賛する。逃げの戦闘とはいえ,その直感
は,目を見張るものがある。「殺すには惜しい――,だが!」
 雷刃の第三の目が見開かれる。途端,雷刃の纏う気質が変化する。
穏やかな漣から,猛り狂う荒波へと。その変化は,雷刃の周囲にも
及ぶ。雷刃の体の各所から稲妻が漏れ出し,地へ吸い込まれる。
「本気で行こう。神韋」
 豹変した雷刃は,濂溪に告げた。
 対して,濂溪は,その豹変に動揺していた。
「……勝手に,盛り上がってやがる」
 その背筋を冷たい汗が流れる。神薙剣を使うか否か。恐らく目の
前の敵は,神薙無しでは到底太刀打ち出来ないだろう。しかし,そ
の反動は大きい。
「どうした。神韋」
 濂溪は,意を決し神薙を使おうと手を伸ばした。そこへ――,
「お困りのようだね」場違いな声が割り込んだ。この場にはそぐわ
なさ過ぎる穏やかな声。それは,梁伯のものだった。
「馬鹿。来るな!」
 濂溪が梁伯に怒鳴る。『虚空の民』同士の戦いを傍観するのみな
らず,介入しようとするのは,人間にして自殺行為に等しい。
「だが断る」
 しかし,梁伯は笑顔を浮かべたまま近付いてきた。
「貴様。邪魔をするな」
 雷刃が梁伯を威嚇する。周囲の稲妻が荒れ狂う。
 梁伯は,止まらない。その様子に,雷刃が稲妻を一条,梁伯へ撃
ち込んだ。濂溪が,梁伯を庇おうと飛び込むが間に合わない。しか
し,梁伯はその一撃を,ひらり,とかわす。その腕が,ゆらり,と
揺れた。雷刃が,声を上げて右肩を押さえる。そこには,太い針が
突き立っている。濂溪と雷刃が同時に息を呑んだ。
「き,貴様。何者だ」
 雷刃が問う。
「それは言えないお約束」
 うそぶいて,梁伯は更に両腕を揺らす。今度は,数十の針が雷刃
の全身に突き刺さる。雷刃は,絶叫する。相手の動きが全く見えな
い。投擲の瞬間すら,雷刃に見ることは出来なかった。
 梁伯は,地を蹴った。一気に雷刃と距離を詰める。
「馬鹿め」
 雷刃は,心の中でにやりと笑う。遠距離ならばまだしも,接近戦
で『虚空の民』が人間に遅れをとる筈がない。雷刃は,すぐに迎撃
体勢をとる――とろうとして,しかし,体が動かなかった。
「経絡縛身」
 梁伯の,針は雷刃の各部の経絡を貫いていた。経絡を遮断された
部位は動かすことが出来ない。『虚空の民』とはいえ,人型である
以上,避けることの出来ない弱点である。
 梁伯の掌底が,雷刃の腹部に入る。雷刃の体を強い衝撃が駆け巡
った。
「まだやるかい?」
 梁伯は,笑顔で倒れた雷刃に言う。雷刃は,苦悶の表情を浮かべ
ながら,その身を稲妻に変え姿を消した。


 村の中心部。四体の案山子の前に満身創痍の雷刃が現われた。
 狐の面の案山子,閃霊が雷刃に問う。
「何があったのです」
「申し訳ありません。異常に強い人間にやられました」
 雷刃は,絶え絶えの声で答える。それに翁の面が反応した。
「ほう。人間とな」
「はい。全く動きを捉えることの出来ぬ人間で御座います」
 雷刃は応える。しばし場が騒然とする。案山子のみでなく,その
周辺で作業している『虚空の民』達がその言葉に反応していた。
『虚空の民』とは,人間を喰らい『無』に帰す存在。それを凌駕す
る人間とは,理不尽であり,俄かには信じがたい話であった。しか
し,雷刃の表情には,偽りの色はない。
「わかりました。体を休め,次の指示を待ちなさい」
 閃霊が雷刃に告げると,雷刃は「御意」と,その姿を消した。
「さて,次は,爺。あんたの番だな」
 鬼の面の案山子,焔成が翁の面に言う。それを暗翳が否定した。
「いえ,ここは私が行きましょう。その人間には心当たりがある」
「ほう。心当たりとな」
「ええ。おそらく,『焔眼』でしょう」
 暗翳は,事前にある情報を入手していた。『虚空の民』を倒すこ
とが可能な人間が,震旦から本朝に渡った,と。『焔眼』とは,そ
の男の異能であり,それはかつて『虚空の民』から授かったという。
「ふむ。それならば暗翳。行くが良い」
「御意」
 翁の面の承諾を受け,暗翳が応える。しかし,閃霊がそれを制止
した。
「お待ちください。直々の御出陣となれば,強い歪みが生じます」
「何を言うか,閃霊殿。神韋を討伐することに比すれば,多少の歪
みなど些事であろう」
「しかし――」
「心配が過ぎるぞ,閃霊」
 焔成,暗翳の二人が閃霊を宥める。翁の面は,その間沈黙してい
たが,一つ咳払いをすると,暗翳の出撃を許可した。