泣く子と子猫には勝てぬ


 生来、私は動物があまり好きではない。人間とは違い、満足な意
思疎通が出来ないことにもどかしさを感じる為である。これは、世
の多くの男に言えることで、どうにも自分の思い通りにいかないこ
とには、軽い不快感を覚えてしまうのである。
 しかし、これもまた世の男一般に言えることだろうが、そう言っ
ている者に限って、いざ目の前に子猫などを置かれると、表情を崩
し、誰よりも可愛がろうとするものである。
 私もまた然りである。

 元々、我が家には成猫が十匹住んでいたのだが、この度新しく子
猫が加えられた。出所はというと、外の物置の下である。拾ってき
たのは母なのだが、曰く、目脂で目が閉じてしまっているらしい。
私は、また金食い虫が増えたのか、当時苦言を漏らしていたが、い
ざその子猫達が獣医から戻ってくると、私の心は撃ち抜かれた。可
愛いのである。
 元野良の雑種ではあるが、子猫ならではの絹の様な手触り。そし
て、それを見た目にも感じさせる色艶。アーモンド形の瞳は青く潤
んで揺れている。何より、如何にもかまえ、と言わんばかりの鳴き
声。いや、このように書くだけでも涎が溜まるほどの可愛さであっ
た。
 どうせ世話が母がする。私は、この可愛い生き物を遠巻きに、し
かし、時に膝の上に乗せてでも眺めていれば良い。私は、そう思っ
て油断した。
 忘れていたのである。外の猫を家に入れると、どのようなことが
起こるのか、を。
 外猫と、家猫の大きな違いはその食事にある。家猫は、猫用の食
事が市販されているのでそれを食べるが、勿論これは滅菌されてい
る。一方、外猫が食べるのは、多くが虫や植物。あるいは、人間か
らせびり取る生の魚である。何れも滅菌されておらず、当然のよう
に様々な寄生虫や病原菌が繁殖している。外猫の体の中には。
 そういった子猫を家の中に入れてろくに隔離もしなければ、前か
らいた成猫たちに感染するのは必至であった。

 先ずは、最老齢の雄猫の下痢が酷かった。獣医から下痢止めを貰
い、投薬する破目に。次も雄猫で、嘔吐が止まらなくなった。同じ
ように吐き気止めを投薬する。成猫だけではない、子猫も同じよう
な症状を呈した。慌てて獣医に連れて行き隔離する。
 可愛いのであるが、しかし、その感染力は甚大であった。一週間
ほどすると、容態が安定した。以前のように子猫と成猫達が戯れる
ようになる。

 ここで私はあることに気が付いた。猫というのは、自由気ままな
生き物であると世間では思われているようだが、実は、そうではな
いようである。普段は、他猫に無関心であるような成猫たちが、こ
ぞって子猫の面倒を見るのである。子猫がどこかで鳴けば、駆けて
その傍に行ってやり、子猫が助けを求めれば、やはり、駆けて助け
に行く。子猫が頼みもしないのに、子猫の毛繕いをしてやり、頼ま
れもしないのに、入るなという場所に子猫を招待する。
 意外と猫という生き物は世話好きな生き物なのかもしれない。い
や、あるいは、私や世の男たちと同じように、可愛いものを見ると
ついつい尽くしてしまう性質なのかもしれない。いずれにせよ、子
猫の可愛さは尋常ではない。

 話は、これで終われば良かった。しかし、これで終わらないので
ある。数日後、大学から帰ると、見慣れない子猫がいた。子猫が増
えた。その日の授業が、生殖の授業であったので、私には、子猫が
分裂や出芽によって増えないことは理解できていた。故に、即座に
気が付いたのである。母が、また拾ってきたのか、と。
 問い詰めると、前の子猫の兄弟のようであった。確かに何処とな
く顔つきが似ているような気がする。しかし、家計への負担が大き
くなると考えると、私は少し頭が痛くなった。とはいえ、子猫であ
る。可愛いのである。とりあえずは様子を見ることにした。
 今度の子猫は、牛柄の子猫であった。前の子猫よりもやや細めで、
しなやかな出で立ちをしていた。顔には兜のような黒い模様が付い
ていたので、名前はカブトと成った。ちなみに、先の子猫の名前は、
エクボである。
 いや、そんなことはどうでもいい。問題であったのは、また大事
なことを忘れたのである。そう。隔離するのを忘れたのだった。

 再び、前の子猫の時と同じような惨状が繰り返された。雄猫は下
痢をし、吐く。意外と雌猫には影響はない。どちらにせよ、可愛い
顔をした子猫は、様々な病原体に満ちている。その頃、私の足に水
虫が出来たのだが、白癬菌も連れてこられたのだろうか。

 そして、同じことはもう一度繰り返された。三匹目。雉猫である。
他の二匹が白地にブチであるのに対し、今度は雉猫であったが、や
はり兄弟であるようだ。何故わかったかというと、その頃になると、
子猫たちの親猫が庭に現われるようになったのである。毎朝、庭に
現われては、飯を催促する。与えた飯を食うと、腹を丸出しにして
庭で寝て帰る。大胆な一家である。

 さて、三度目の惨事も過ぎ、我が家に増えた子猫は三匹。朝から、
家の中を走り回っては、私の机の上を滅茶苦茶にして去っていく。
彼らの為に駄目にされた原稿用紙は数知れず、私は、現場を押さえ
るたびに、説教をしてやろうと思うのだが、捕まえた時の子猫たち
の無垢な表情を見ると、その気分が削げるのである。恐ろしいもの
だ。泣く子と地頭には勝てぬ、とはよく言ったものだが、今の世の
中、地頭は居ない。泣く子と子猫には勝てぬ。そう言い直した方が
良いだろう。

 私は、そんなことを考えながら、今も子猫たちを遊ばせてやる。
 執筆に使う筈の鉛筆を猫じゃらしに使って……。