死神「黒猫」

「人の死には、浪漫が溢れている」というのはお父さんの口癖だが、
僕には、とてもそうは思えない。人の死というものは、ただただ悲
愴で哀れなものに過ぎない。それなのに人は争い傷つけあい、そし
て時に殺しあう。生命の尊厳とか、命の大切さとか、そんなものは
果たしてどこに行ってしまったのだろうか。
 そんなことを思っている僕だから、死神なんて仕事が性に合うは
ずも無く、ただただ今日も、空を見上げながら町をぼーっと歩いて
いる。空を見上げているのは、別に坂本九のファンであるという訳
ではなく、空を見上げているほうが、生きているものが少ないから
だ。いや、正しくは、死に逝くものが少ないから、か。
 僕ら、死神は生きているものの寿命が見える。どこかの漫画で表
現されていたような数字で見えるのではなく、黒い液体として見え
る。人は生まれた時はその黒い液体で満たされているけれど、時間
が経つにつれてその液体の量が減っていく。そして、それが無くな
った時に人は死ぬ。つまり、その液体の残量がその人のおおよその
寿命になる。
 人の寿命は、その人の生活習慣と周りの環境、そして不慮の事故
などに影響されて減少する。一度減った寿命は回復することはない。
とはいえ、最近は人の医学の進歩で平均寿命が延び、寿命の現象が
停滞気味だ。
 基本的には失われた寿命は、一度、彼の世に送り返されその後、
別の命に割り当てられることになっているけれど、人の寿命が延び
過ぎて、そのサイクルが滞っている。それが問題だ。
 問題というのは、寿命、あるいは生命の循環の不具合は、世界に
影響を与えるということだ。ちょうど、体内の血液が循環しないと
不都合が生じるように。
 そして、その問題は、僕にも問題を与えた。通常、僕の業務は死
んだ人の魂を三途の河原まで案内することだったのだけれど、最近、
取り決められた政策で、生きている人間――ただし、寿命が残りわ
ずかで、もう間もなく死ぬであろう人間、の魂を三途の河原まで案
内することになったのだ。
 これは、僕にとってはかなりの苦痛だ。もっとも、まだこの業務
になってから一度も人を殺していないけれど――。


 僕が、一日の就業時間を終えて家に戻ると、早番だったお姉ちゃ
んが先に帰ってきていた。ソファに横になってテレビを見ている。
「ただいま――」
「今日は何人?」
 ここ数週間、お姉ちゃんは「おかえり」と言ってくれない。代わ
りに言うのが「今日は何人?」だ。何人殺したか、という意味だけ
ど、僕は一人も殺していないので、「0」と答えるしかない。
「はっ。またかい」
 そう言うと、お姉ちゃんはまたテレビに意識を戻した。僕は「ご
めんなさい」と言って、自分の部屋に入る。電気を付けないでその
ままベッドに横になる。そして、今日、殺さなかった人たちのこと
を思い出す。
 鉄道の高架下で痩せ細ったお爺さん。もう身体中の筋肉が落ちて
とても動ける状態じゃなかった。それでも必死に口を動かして、水
を欲しがっていた。それを僕は、殺さなかった。
 デパートで買い物をしていたお婆さんは、もう寿命が殆どないの
に元気に動いていた。子供の玩具売り場にいたのは、きっとお孫さ
んの為のお土産でも買ってあげていたんだろう。それを僕は、殺さ
なかった。
 商店街の路地裏で、倒れていた若い男女。互いに寿命をギリギリ
まで使い果たしていたのは、きっと手に持っていた注射器のせいな
んだろう。それを僕は、殺さなかった。
 そうして僕は、誰も殺さずに家に帰ってきた。人としては、それ
はきっと良いことだろう。それでも、僕ら死神にとっては、規則違
反になる。どうして僕は、死神として生まれてきたのか、いつまで
死神として生きるのか、自分を問う。そんな毎日が続く。
 コンコンとドアをノックする音が聞こえた。僕が返事をすると、
入ってきたのはお父さんだった。死神業の傍ら、医師としての仕事
をしているらしい。もっとも、医師としてやっているのは治療では
なく、安楽死だけれども。
「今日もまた殺さなかったらしいな」
「うん」
「そうか」
 それだけ言って、お父さんは部屋から出て行った。後にまた僕だ
けが取り残される。何もない静寂は、ふっと僕を哀しくさせた。こ
のまま僕が殺さずにいれば、きっと家族からも取り残されるだろう。
「明日こそ――」


 死神が生きている人を殺す方法は二つある。一つは、物理的に殺
す方法。屋上から突き落としたり、浴槽に沈めてみたりする。もう
一つが、その人の寿命を刈り取る方法だ。死神としては、むしろこ
ちらの方が一般的で、人の身体に触れるだけで出来るので簡便な方
法でもある。その、ただ触れるだけが、僕には出来ない。
 寿命が残りわずかな人は、思われている以上にたくさんいる。老
若男女その多くが、ほとんど失われた寿命の中で、何年も生きてい
る。基本的に、人の寿命は30年分くらいしか貯蔵されていない。
その寿命の大半は、生きる為と子孫を残すために使用され、それが
終わったときには、大体殆どの寿命がなくなっている。それでも、
現代の人は、高度な医療技術の下で寿命の減りを最小限抑えている。
 言ってしまえば、僕が殺してもいい人は、ちょっと探せばどこに
でもいるということだ。それでも、僕は、自分の中で線引きをして
いる。寿命がほとんどなくても、その中でも特に、死にかけている
人しか殺さない、と。それすらまだ殺せないけれど。
 今日も繁華街を歩きつかれて、僕は堤防のガード下に来ていた。
川を眺める。結局、今日も僕は一人も殺さずに仕事を終えた。途中
で何人も死に掛けの人を見かけたけれど、それも全て見逃した。殺
せない。手を触れるだけなのに、それが引き起こす現象が怖い。
「僕には、死神は向いてないな――」
 そう呟いて、小石を川に投げつける。
 ドスンッ。
 小石以外の何かが落ちる音。僕は、びっくりして横を見る。そこ
には、血だらけの男の人が倒れていた。堤防の上から落ちてきたの
か。それでもまだ生きている。寿命は、まだ残っている。それでも、
その寿命は、ものすごい勢いで流れ出して、死ぬ間際の黄色い光を
発し始めた。僕は、何の気は無しにその身体に触れようとする。今
なら、この人の命を刈れる。
 そう思って手を伸ばしたその時、男の人の寿命が一瞬で尽きた。
驚いて顔を上げると、自分と同じくらいの歳の男の子が立っていた。
「悪いね。こいつは俺が殺させて貰った」
 そう言って、彼は手に持ったナイフをかざしてみせる。真新しい
鮮血と、男の人から流れ出した寿命が、ナイフから滴っている。
「君は、死神なのか?」
「死神? ははん。まぁ、そんなところかな」
 彼は、ナイフを横薙ぎに振ってから、ホルダーに納めた。
「お前、名前は何て言う?」
「名前?」
 僕は、突然名前を聞かれてきょとんとした。
「そう。名前。俺の名前は黒猫。お前は?」
「彼岸。僕は、彼岸だ」
「なんだそりゃ。縁起の悪い名前だな。まぁいい。じゃあな」
 そう言って、彼は走って去っていった。僕の横には、寿命が完全
に抜け落ちた抜け殻が落ちている。
 例の男の人の魂を三途の河原に運んでから家に帰るとすっかり遅
くなってしまった。家では、普段不機嫌そうな表情をしているお父
さんが上機嫌に酒を飲んでいる。どうやら、病院でのある実験に成
功したらしい。僕は、一人で部屋にこもって、今日見た死にかけの
人たちのことを思い出していた。そして、最後に会った彼、黒猫の
ことも。


 次の日、繁華街を歩いていると、男の人が叫びながら走っている
のが見えた。顔には恐怖。何かから逃げているようだった。身体中
にある傷口から寿命が流れ出している。きっともう直ぐ死ぬだろう。
僕がその姿を眺めていると、男の人が僕の方に走ってきた。そのま
ま僕を羽交い締めにする。首元には包丁。動けない。
「動くなっ!」
 男の人が叫ぶ。僕は、そのあまりの大声に顔をしかめる。叫ばれ
たのは、一人の男の子だった。黒猫だ。
「おお。こんなところで何やってるんだ? 彼岸」
「それは僕が聞きたいよ。黒猫」
 彼は、ナイフをぶらぶらと振りながら近付いてくる。男の包丁が
僕の首に強く押し当てられた。割と痛い。皮膚が切れて血が流れ出
す。死神といっても、普段は人の姿をしているから割と辛かった。
「ナイフを捨てろ。さもないと――」
「わかったよ。捨てるよ」
 男が全部言い切る前に、黒猫は答えて、ナイフから手を離した。
ナイフが地面に落ちる。男は、僕を人質にしたまま後ろに下がる。
その足が急にもつれた。血の、つまり、寿命の放出のし過ぎだった。
おそらく黒猫によるだろう、切り傷は確実にこの男の寿命を削って
いた。それが、今完全に尽きようとしている。僕が男の拘束から解
放されると、黒猫が拾ったナイフを男の眉間に投げ落とした。完全
に命が尽きる。
「危ないところだったな」
 黒猫は、そう言って僕に手を差し伸ばしてきた。僕は、その手を
乱暴に払う。
「どうして殺した?」
「あん? 死に損ないに止めを刺して何が悪い」
 予想外の行動だったのか、黒猫の表情が険しくなる。
「死に損ないって、君が殺そうとしていたんだろう?」
「まぁ、そうだな」
「何でだ? 君は死神じゃないだろ」
 黒猫は、死神ではない。この地区を担当する死神は、僕と僕の父
親だけだ。そして、死神以外が人を殺せば、それは罪になる。そし
て、罪を犯せば人は裁かれる。裁きの権限は死神に与えられ、殺す
ことも、寿命を削ることも死神の自由だ。
「だったらどうする? 俺を殺すのか」
「殺しはしない。だが、寿命を削らせて貰う」
 僕は、その裁きは何度か経験している。殺すわけではないので、
こちらに罪の意識はない。まして、罪人を裁くのは当然のことだ。
「へぇ。まぁいいけど寿命を削られると、俺死ぬよ」
「そんなことはないだろう。君の寿命はまだ――」
 十分ある、と言おうとして、僕は目を見開いた。今の今まで気が
付かなかったけれど、彼の寿命はもう殆ど残されていない。それど
ころか、黄色く光っている。死の直前だ。
「……君は一体?」
「だから、死神だって」
 そう言って彼は、にたりと笑った。


 黒猫に付いてくるように言われて、着いたのは、僕のよく知って
いる場所だった。海岸のそばにある病院。そこは、僕のお父さんの
病院だった。
 病院に入ると、黒猫は迷うことなく院長室へ。3つ、ノックして
部屋に入った。窓の外を見ていたお父さんが椅子ごと振り向く。
「……もう会ったのか」
「あぁ。あっさりとね」
 お父さんの言葉に、黒猫が答える。僕は、理解が出来ないという
風で二人の顔を見る。
「彼岸。細かいことは今は説明しないが、黒猫と仕事をしろ」
「は? 黒猫は死神じゃないでしょ」
「だからだ。黒猫に寿命は見えない。お前は寿命が見える。黒猫は
人を殺すのに躊躇いがなくて、お前は人を殺さない。死神業を執行
するには、二人でやった方が効率がいいだろう」
 言い返す言葉が無い。僕には、確かに人を殺すことは出来ないし、
お父さんの机の上に積まれている書類は、最近の死神業の成果不振
の始末書だ。反論出来るはずがない。僕は頷くしかなかった。こう
して、明日から僕と黒猫と二人で、死神業を始めることになる。


 始めに、僕は黒猫に2つの条件を与えた。
「殺すのは僕が指定した人だけ」「一日に殺すのは5人まで」
 黒猫は、何故だか人、といっても男の人だけだけど、を殺すのに
まったく躊躇いが無い。その人の寿命が殆ど無いのであれば構わな
いけれど、まだあるような人を殺されると困る。あるいは、そうで
なくても、殺したくないような人もいる。
「そういや、昨日と一昨日は、どうして殺したの?」
 そこまで考えて、僕はふっと気になっていたことを聞いてみた。
「あぁ。あの二人はヤクの売人とユーザー。取引現場に居合わせた
から、先ず売人を殺して、次の日にユーザーを殺したってわけ」
「そうなのか」
 単なる快楽殺人じゃなさそうだと思って、胸を撫で下ろす。快楽
殺人者と一緒に仕事をするのは嫌だった。
「安心しろ。女子供は殺さない。俺が殺すのは悪だけだ」
 そう言って黒猫は胸を叩いた。善悪の判断は人による。勧善懲悪
といえども、盗人にも理はある。やはり、殺す殺さないの決定は僕
がするべきだろうとも思う。行き過ぎた正義感は時に反感を呼ぶし、
実際、この国の治安維持機関は、それで潰されている。
「それじゃあ先ず、死神の仕事の説明をしようか」
 ファミレスに到着した僕と黒猫は、これからの動きの確認をする
ことにする。ただ、その前に死神の仕事の説明をしなくてはならな
い。
「僕らに与えられた仕事は、寿命のわずかな人を、その寿命が尽き
る前に殺してしまうことだ。だから、殺していい人間は絞られる。
次に、その殺し方だけど、基本的には僕がその人の身体に触れるこ
とで寿命を刈り取ることになっている。でも、それは僕が出来ない
から、代わりに違う方法で君にやってもらう――」
「直接殺すんだろ」
「――その通り。ただし、条件がある」
 そう言って、僕は傍に置いておいた大鎌を黒猫に手渡した。
「ひゅうっ。でかいな。何だコリャ」
「他の死神の中には、屋上から落としたり、風呂に沈めたりするの
がいるんだけど、君は切ったり刺したりが好きそうだからさ」
「いやー。だったら、ナイフの方が良いね」
「そうはいかない。ナイフで殺していったら、例の連続殺人かと勘
違いされる」
 そう。死神の大鎌の傷跡は見た目ですぐにわかる。最近、この近
辺で連続殺人事件が発生しているが、それと勘違いされずに済む。
「はぁ。連続殺人……ね。ところで――」
「ん。何?」
「その犯人を見つけたら殺しても良いのか?」
 ふむ、と僕は考え込んだ。適当に喋ったことから思いもよらぬ返
しだ。黒猫は本当に殺しが好きなんだな。とはいえ、死神の裁きの
例からすると、連続殺人の犯人を殺すケースは少なくない。
「ああ。別に構わないよ」
 そう言うと、黒猫は頷いて目の前の料理を食べ始めた。

 ファミレスを出る。黒猫は、肩に大鎌を担いでさらに黒いマント
を着ている。流石にやりすぎかな、とは思ったけれど本人は案外乗
り気なので良いことにする。
「さて、最初の獲物はどれかな。彼岸」
「待ってくれ。今検索している」
 死神は、寿命の濃度分布を脳内でビジュアライズすることが出来
る。僕は、普段は使わないので(使っても殺さないから)、扱いが
あまり得意ではない。しばらくしてイメージが固まったあたりで、
近くの対象が見つかった。
「ここから近い。三つ目の角を左」
「了解」
 僕と黒猫は、目的地に走る。角を曲がると、おじさんが道に寝転
がっていた。口から泡を吐いている。顔が異常に赤く、周りが酒臭
いところを見ると、急性アルコール中毒か何かのようだ。
「これか?」という黒猫の声に僕は「うん」と答えた。
 寿命は残りわずか。もってあと数分。死神の大鎌が振り下ろされ
る。寿命が黄色く光って消えた。僕は魂を回収する。後で三途の河
原に送り届ける為だ。
「うはっ。何だこれ?」
 黒猫は死体の傷跡を見て驚いている。無理も無い。袈裟に振り下
ろした筈なのに、傷跡は心臓の穴一つなのだから。
「死神の大鎌は、どうやって切っても、心臓を抉り取る。そういう
風に出来ているんだよ」
「へぇ。そいつは確かに便利だな。で、次はどれだい?」
 黒猫は早くも次の標的を探し求めている。僕の胸にじゅくじゅく
とした痛みが走る。何かが違う。そんな気がした。

 その後、僕たちは3人追加で殺した。僕は就業時間が終わり、僕
は魂を三途の河原に届ける。今日のこの時間の船守はお姉ちゃんだ
った。
「今日は大漁じゃないか」
「今日からパートナーが付いたんだ」
「パートナーねぇ。まぁ、仕事が出来てれば良いけどさ」
 そう言って、お姉ちゃんは、魂を乗せて船を出した。僕は、特に
用事もないので家に帰る。
 あっという間に過ぎた一日だった。今までとは全く違う。僕自身
は人を殺してはいないけれど、僕は今日4人殺している。これは、
一体どういうことだろう。思っていたほど後悔もしないし、恐怖も
無い。ただひたすらに疲れただけだった。人の命というものは、こ
んな簡単に扱えるものなのか。そう僕は思った。また胸がじゅくじ
ゅくと痛む。何かが違う。そんな気もする。


 こんな感じで、僕と黒猫は毎日人を殺していった。人を殺せば、
不思議なもので、徐々に次々とより効率の良い対象が発見できるよ
うになる。今まで見えていなかった対象が見えるようになった。人
を食べた人にはひかりごけが見えるらしいけれど、人を殺した死神
にも似たような変化があるのだろうか。
「最近、妙に考え込むな。彼岸」
 いつものファミレスで黒猫がスパゲッティを啜りながら話しかけ
てくる。
「ああ。うん。なんていうかさ、最近、死にかけの人がよく見える
ようになってきて」
「へぇ。そいつは良いね。仕事の能率が上がるってもんだ」
「まぁ。そうも言えるかな」
 僕はそう言って、何気なく窓の外を見た。女の人が歩いている。
寿命はまだたくさんある人だ。僕は何気なくその女の人を目で追っ
ていたら、突然、その女の人の寿命が全部なくなった。
「は?!」
 僕は、つい素っ頓狂な声を上げてしまう。黒猫が、驚いて僕の顔
を見た後、外を見る。女の人はまだ普通に歩いている。その女の人
の前から、男の人が歩いてきた。ニット帽を目深に被った男の人だ。
その男の人と女の人がすれ違った瞬間に、女の人の寿命が黄色く光
って消えた。男の人はそのまま去っていく。女の人はその場に崩れ
落ちた。外が騒然となっている。僕はその様子を呆然と見、黒猫は、
去っていった男の方を睨み付けていた。

 喧騒が去って、ファミレスのテレビではさっき起こった殺人事件
のニュースが流れている。連続殺人事件の被害者はこれで30名以
上にのぼるらしい。目の前で行われた凶行は実にあっさりとしてい
た。
「あいつが犯人だったのか」
 黒猫が、大鎌を固く握り締めている。その手がぶるぶると震えて
いた。どうして、彼はそこまで怒っているのだろう。確かに、あの
犯人の行動は、悪だが、黒猫も大量に人を殺してきたという点では
変わらない筈なのに。
「それとこれとはまったく別だ。アイツの殺しには大義はない」
 黒猫は、怒鳴るようにして吐き捨てた。そして、ファミレスを飛
び出していく。犯人の男が去った方向だ。僕は、遅れてその後を追
う。前に、黒猫は犯人を殺すと言っていた。だから、今、黒猫が犯
人に会って殺すつもりなんだろう、それくらいはわかった。でも、
彼がそこまであの犯人に固執するのは何故だろう。それがわからな
い。

 一時間くらい歩いて、僕はようやく黒猫を見つけた。いつかの堤
防のガード下で、黒猫は座っていた。
「どうだった」
「駄目だ。完全に逃げられた」
 黒猫の顔には涙の跡が残っている。
「ねぇ。黒猫。君はどうしてあの犯人に固執するんだい?」
 黒猫は、ふうと溜息をついてから、「付いてこいよ」と言った。

 黒猫に連れて行かれたのはまた、僕のお父さんの病院だった。院
長室に入る。
「先生。そろそろ彼岸に教えても良いんじゃないか?」
 お父さんの顔を見るなり、黒猫はそう言った。それに、お父さん
は頷く。
「黒猫。上着を脱げ」
 お父さんは、黒猫にそう命令する。黒猫は、言われるままに黒い
トレーナーを脱いだ。中の素肌は青白く、体中に傷が走っていた。
裂傷痕。かなり大きな刃物で切られた跡が、何条も走っている。そ
れは致命傷に至っている筈の傷だった。
「彼岸。これが何かわかるか?」
 お父さんは、黒猫を指差しながら僕に聞いた。
「反魂術。違う?」
 思い当たるのはそれしかなかった。一度死んだ人の身体に、新し
い寿命を加えて生き返らせる。死神の中でも限られた存在にしか仕
えない秘術。
「違う。これはそれを模した別のものだ。黒猫の寿命を見てみろ」
 お父さんに言われるがまま、僕は黒猫の寿命を見る。それは、黄
色く光っていた。
「……これは?」
「人の魂の強さは、肉体と寿命の結合度に関与する。強い魂ほど、
理不尽な死に対する抵抗が大きく、最後の寿命が中々抜け落ちない。
その結果、肉体が先に果て、残された魂と寿命が結合し、不純なエ
ネルギーとして回帰する。それを未然に食い止めることに成功した
一例だ。彼の魂は強く、体中がバラバラにされてもなお、生きるこ
とを求めていた。私は、その体の治療にあたりながら同時に、寿命
に対して干渉した。寿命を固定し、外部から吸収するようにした。
それが黒猫だ」
 お父さんは、一気に説明する。黒猫がその説明が終わった後に話
し始めた。
「今から数週間前。俺の家に数人の男たちが押し入ってきた。それ
は、薬の常習で父に捕まった男たちだった。奴らは、父と母を殺し、
そして俺を殺した。その時の奴らは完全に狂気に浸っていた。その
後、一人を残して全員が逮捕されたが、残った一人が野放しになっ
ている。そして、そいつは、その時の狂気に飲まれて人を殺し続け
ている。ここまで言えばわかるか? 彼岸」
 僕は、朦朧とする頭で頷いた。つまり、黒猫は、復讐をしようと
しているのか。自分と両親を殺した男に。
「復讐か?」
「いや、粛清だ」


 翌日。僕と黒猫は例のファミレスで作戦を練っていた。あの後詳
しい話を聞いたところ、もう一つわかったことがあった。それは、
黒猫の生存のリミットがあることだった。お父さんの実験は、現在
の死神の規則に違反しているので、長期間の生存が許されない。だ
から、犯人を見つけて殺し次第、黒猫の魂は強制的に彼の世に送ら
れる。そして、その期限は明日に迫っていた。
「どうしてもっと早く言ってくれなかったんだ?」
「探すまでもなく見つかると思っていたからな。あれだけ派手に毎
日人を殺してるんだ」
「殺人者は、意外と地味なもんだよ」
 僕は、そう言ってたしなめる。とはいえ、相手が薬の常習である
ことを考えると少し奇妙な気はする。最初に黒猫を殺したときより
も、あとの殺人が地味すぎるのが気になる。
 とはいえ、今はそんなことを言っていられない。どうやって犯人
を見つけるかが重要だ。
「昨日の女の人を見て、特徴的だったのは、殺される前に一気に寿
命が消えたんだ。だから、寿命濃度をモニターして一気に消えたと
ころに犯人がいると考えられる」
 これも良く考えると妙な話だ。寿命が消えるのは外的な要因が多
く。殺されたから寿命が消えるのはあるけど、殺される前に寿命が
消えることは普通、あり得ないから。
「へぇ。じゃあそうしてくれ」
「だが、今回の犯人は今までとは違って抵抗する可能性がある。犯
人自体が元気だからね。だから、大振りな死神の大鎌だけでは戦い
にくいかもしれない」
「それじゃあ。どうすればいい?」
「特別にナイフの使用許可が下りた。以前みたいにやって貰って構
わないよ」僕は、預かっていた黒猫のナイフを返す。黒猫は、それ
を受け取ってくるくると手の中で回した。
「やっぱりこれじゃないとね」
「後は、少し妙なところがあるからくれぐれも気を付けて戦うよう
に。油断はしないで」
 僕は、黒猫に釘を刺す。

 ファミレスを出た。僕は、寿命濃度をモニターする。寿命が急に
消えるところはどこか。僕の脳内のイメージが反応した。
「1キロメートル先。繁華街を抜けて公園の入り口付近だ」
「了解」
 黒猫は走り出した。僕も意識を現実に戻して走り出す。繁華街の
傍。この地区で唯一の自然公園の入り口で、それは待っている。

 今度の被害者も女の人だった。女の人は寿命を大きく削られては
いるけれど、まだ殺されてはいない。犯人はこれから現われるのだ
ろう。僕と黒猫は、物陰に身を潜めて犯人の現われるのを待った。
 暫くして、帽子を目深に被った男の人が現われた。
「アイツか」
「多分」
 黒猫が今にも飛び出そうとするのを、押さえながら様子を見る。
女の人はその男の人に気づくと手を振った。
「知り合い? 人違いか」
「いや。それでも反応は出ている。もう少し様子を見よう」
 二人は、公園の奥の方に入っていく。僕たちもその後を追う。

 公園の奥には噴水がある。二人はその噴水の脇に座ってなにやら
話をしている。時折、二人の身体が近付いては離れる。僕は何だか
居心地が悪くなって来て、この場を立ち去りたくなってきた。だけ
ど、黒猫は、さっきよりもきびしい表情で二人を見ている。
 二人の身体が、もう一度近付いたとき、黒猫は飛び出した。女の
人の寿命が黄色く光って消える。男の手にはナイフが握られたいた。
黒猫は、ナイフを構えながら男に突進する。男は、それにまだ気が
付いていない。黒猫がナイフを振り下ろす。この時、ようやく男が
振り返った。口元に余裕の笑みを浮かべて。男の腕が横に動いた。
その途端、黒猫の身体が弾け飛ぶ。男は、ナイフを構えなおして、
黒猫の腹の上に落とした。黒猫の身体が痙攣する。寿命が消えかか
っていた。
「さて。もう一人いるんだろう。出てこいよ」
 男が、そう言って僕の居るほうを真っ直ぐ見る。黒猫の腹のナイ
フを抜いて、投擲する。僕の横を掠めて飛んできた。少し頬が切れ
る。
「次は当てるぞ」
 男は、口元に笑みを浮かべながら僕の方を見る。僕は、仕方なく
姿を現した。少なくとも相手は今は武器を持っていない筈だ。ただ、
それよりも気づいたことがある。
「あんた。死神だろ」
 僕は、男に聞く。黒猫を弾き飛ばしたときに、手の平に寿命が引
っ掛かっていた。それに、死神であれば、殺す前に寿命を削ること
も出来ないことではない。勿論、違法だけど。
「そうさ。元、だけどな」
 男は、にやにやと笑いながら近付いてくる。僕は、大鎌を構えて
男に向ける。
「おおっと。お前に出来るのかな? 人を殺せない死神くん」
「さてね」
 僕のことは男の耳にも入っているようだ。まぁ、担当が代わって
から暫くの間、寿命の密度が変化していなければ直ぐに気づくだろ
う。僕が、人を殺せない死神だっていうことくらい。
「人を殺すのは楽しいぞ。最大の快楽だ」
 男は、僕の方を見て語ってくる。そういえば、前任の死神は殺し
すぎで、権利を剥奪されたんだったか。それが野放しになった結果
がこれか。僕は、大鎌を持つ手に力を入れた。
「出来ないくせに。無理は良くないよ」
 男が挑発的に言ってくる。僕は、大鎌を振り上げて、投げた。
「どこに投げているんだ。怖くて手が滑ったか――」
 ドスンッ、と鈍い音がした。男の体が縦に分断される。僕が投げ
た大鎌は男の後ろに立っていた黒猫が受け止めて振り下ろしていた。
「救われないね。僕もあんたも」


 全てが終わった後。黒猫を病院に運んだ僕は、今日最後の仕事に
取り掛かることになった。それは、黒猫の寿命を刈り取ることだ。
黒猫の身体はもう修復不能だし、いずれにしても目的は達成されて
いた。後は、当初の条件どおり、黒猫の魂を回帰させなくてはなら
ない。その役目が僕になった。
 黒猫の寿命は、あと片手で一掬いしか残っていない。僕は、少し
躊躇いながら、彼の身体に手を触れた。寿命が引っ掛かる。そして、
それを回収した。あっさりと、ことは進んだ。
 何も僕は、人を殺すことに抵抗がなくなった訳ではない。ただ、
ここまで全力で生きてきた彼に対して最大限の敬意を払ったまでの
つもりだ。黒猫は、目を瞑ったまま逝った。僕はその魂を三途の河
原に持っていく――。

「人の死は浪漫に溢れている」かどうかは知らないけれど、少なく
とも、人の人生に浪漫は溢れているのかも知れない。そんなことを
思った。


                           (完)



   あとがき

 何も考えないで書いたら10,000字越えてた。
 でも、考えて書いたら半分以下になりそうな話だな。
 まあいいや。おそまつさまでした。